けんゆうの雑記帳

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<<   作成日時 : 2006/02/18 17:36   >>

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もない。割のいゝものが、割のいゝ五十年の暮しをしてゐるだけのことだと、国宗はさかんに蔭弁慶の迷論を飛ばしてゐる。
 だが、闇の煙草はなかなかうまい。
 五郎は、錻力や、木片をあつめてきて、こつこつと、電気の麺麭焼き箱をつくつてゐる。
「うまく出来るかい」
 専造が破れ団扇をつかひながら見物といつた様子。
「これで、コードを少し買つてくれば出来るよ」
「よーし、買つてやらう。しかしふくらし粉は高値だなア」
「姉さんに貰つて来るよ」
「夏川つて家も、姉さんの話によるとけちんぼだつて云つてたよ」
「だつて、ふくらし粉位はあるだらう」
「あゝ、猛烈に甘い奴をたべたいなア。砂糖といふものの存在はどうなつたのかねえ。砂糖といふ奴は‥‥」
 国宗が、出窓に腰をかけて、急に甘いものを思ひ出したやうだ。五郎は、硝子瓶にはいつた砂糖の白さを思つた。坂田のおばあさんの家で、大切にしてゐる白砂糖を峰子と二人で盗んでなめた事があつた。舌の上にじゆんと広がつてゆく甘さが忘れられない。ふつくりした柔い薄団にくるまつたやうな、ぽつてりした砂糖の味‥‥。
 少しばかり紙に包んでおいて、峰子と二人で寝床でも嘗めた。灯火の下でみると、きらきらした光が硝子の屑のやうでもある。
「何しても、働く場所がないと云ふ事は憂欝だねえ。本郷の方も、当分駄目らしいんで弱つてゐる」[#「」」は底本では「。」]
 専造が如何にも弱つてゐる風に髪の毛をむしつた。
「まさか、路ばたでリユツクを下ろして、大学生が店を出すつてことも出来なからうしねえ」
「うん」
「いつそ、どうだい?学校の方をやめてしまつて、本格的に就職運動をしてみたら‥‥」
「生きるといふ事は、まづ難物だなア」
「死ねといつたつて、すぐ死ねもしないしさ‥‥」
「全くだ。僕達のやうな学生のことなンか、世の中は少しも考へてくれやしない。問題が多すぎると云へば多すぎるンだらうが、もつと何とかねえ、――どうしても、五百円はなくちやア勉強は出来ない」
「うん」
「君は、いつたい、サラリーはどの位貰つてるの?」
「まづ、昔の課長級かな」
「ぢやア、大した事もないな」
「まづそんなもンだ、――食にとぼしい生活といふものは、第一に張りがなくなるし、人生に夢がなくなるね、自分が、若いンだか、年寄りなンだか、さつぱり判らなくなつてしまつたよ。有耶無耶にして十年、このまゝでいつたら乞食の生活と大した変りはないね。生きながら冥府に旅をしてゐるも同じの生活だよ。だから呑気は呑気だ‥‥。人間、栄達、立身出世の野心がなければ、なかなか安気なものだ。毎日鞄をさげて出社して、夕べは茄子やトマトを買つて帰る。本は高いから買はないで、まア、朝の新聞の広告を、たンねんに、読んでゆくうちには眠くなつちまふ。眼が覚めるとまたまた鞄をさげて出社‥‥何のことはない、己れに逆ふものなしさ、氷屋のすだれの如き、さらさらした人生図だよ‥‥」
 丁度焼野を越した向うを省線が走つてゐる。
 眼の下の狭い空地には唐もろこしの籔。四畳半の二階、それでもこよなき天国だ。赤ちやけて芯のはみ出た畳だけれど、間代にはべらぼうな値段がついてゐる。破れ畳に寝るだけで、本を売りつくして、そのうち、本箱もこの畳に吸収されようとしてゐる一日一日、崩れてゆく部屋のかつかうが専造には妙で口惜しいのだ。貧弱な運命といふものが、眼にはみえないけれども、軒の風鈴のやうに風のまにまに涼やかに鳴つてゐる。
 これで、五郎でもゐなければ、底なしに荒さんで行くのかも知れない。
 時々、それこそ、天の川のやうな訪問のしかたで、定子が五郎が逢ひに来た。[#「定子が五郎が逢ひに来た。」はママ]専造はそれが唯一の慰さめだつた。
「このまゝぢやア何とも淋しいねえ‥‥」
「妻君でも貰つたらどうなの?」
「食へないぢやアないか、女の干物は可愛想だよ」
 ひどい見幕で国宗が坐りなほつた。
「藤崎さん配給ですよツ」
 階下のお神さんが呼んでゐる。
「ものは何です?」
 専造がたづねた。
「とろろこぶですつて‥‥」
「はア‥‥」
 気が抜けたやうな返事をしたので、国宗も五郎もぷつと吹き出した。とろろこぶは重大であるかといふ問題が起きさうだ。
「僕、行つて来よう」
「またこの間みたいに高値いンぢやあないかな。お神さんに聞いてみて、高値いやうだつたら買はないで来るさ。――何しろ、べらぼうに配給品が高値いンだから変だよ。――君、コンニヤクの粉をもとにした代用粉と云ふものを食つた事あるかね? 一貫目八拾円と云ふンだが、どんなものかねえ‥‥」
「腹もちはいゝンだらうなア‥‥」
 五郎は鍋を持つて階下へ降りて行つ

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