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「俺、眼がまひさうだなア‥‥」 「えツ?大丈夫か、おいツ!」 専造はあわてて、五郎を抱くやうにして、書肆の横丁にある氷屋にはいつた。 「水を一杯下さいツ!」 紺絣のうはつぱりを着たねえちやんが、なみなみと二つのコツプに水を持つて来てくれた。思ひがけない親切である。 五郎は青い顔をして一息にその水を呑んだ。 四時半には、もう起きて雨戸を開ける。 南が吹いてゐる[#「南が吹いてゐる」はママ]ので、馬鹿に暑い。だが、四囲は晴れてゐる。 ガスに火をつけると、只、ごうごうと臭い風が鳴つてゐるきり、ガス屋さんは、今朝も御倹約ね‥‥。定子は、仄明るい格子窓に、朱色のぶちのある古い手鏡を立てかけて髪を結ふ。 (五郎ちやんは、いまごろどうしてゐるかしら。藤崎さん可愛がつてくれてるかしら‥‥) 東京は、人間の屑の、掃溜めのやうな処だと、坂田のおばあさんは云つてゐたけれども、定子は、結局、田舎よりも東京がいゝといふ信念を持つてゐた。束京といふ処も、田舎のひとの寄りあひでかたまつた処だから、上海のやうに自由でのんびりしてゐる。 定子は、此家へ来た事を、一度も辛いと思つたことがない。夜になると、家の路地口を、酔つぱらひが歩いてゐたり、妙な家ではないかと、そつとのぞいていくひともあつて、一日ぢゆう賑やかな、この街が、定子には何となく面白い。「まだ茶は沸かないの?」 |
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